焼け跡に立った、丁稚の少年
創業者・梅本幸男は、昭和8年(1933年)、奈良・橿原に生まれました。菅原道真公にゆかりがあると伝わる梅本家は、田畑を耕し、酒屋も営む家。その八人兄弟の四男、上から六番目の子でした。はじめは建築を志して学びますが、その道は自分に向かないと早くに見切りをつけます。1948年、15歳で学校を離れ、向かった先は、焼け跡から立ち上がろうとする大阪・心斎橋。商いの世界へ、丁稚奉公として飛び込みました。
戦後は食糧が乏しく、都会では米が思うように手に入りませんでした。一方、実家のある奈良・橿原は米どころ。幸男少年は、実家の米を大阪へ担いで運び、米を求める人へ届けました。その稼ぎが、丁稚の給金を上回ることもあったといいます。必要としている人へ、あるものを届ける。この体験こそが、幸男にとって商いの原点になりました。
箔の商社で学んだ、営業という仕事
五年の丁稚奉公を経て、二十歳のころ、幸男は独立します。箔や銀紙、包装材を扱うかたわら、紙の箱づくりにも挑み、キャラメルの箱なども手がけました。座敷や蔵を改造した小さな仕事場が、その出発点でした。
けれど、大阪で一人前の商人になるには、まだ学ぶことがある。そう考えた幸男は、一度は箔の商社に戻り、営業を一から叩き込まれます。紙箱屋やシール屋を訪ね歩くうちに出会ったのが、シールという商材でした。のちに業界を代表することになる会社とも取引を重ねながら、商いの骨法を身につけていきます。
買っては売り、また買っては売る。「儲けてこそ商売、儲けないものは投資や」。米の担ぎ売りから掴んだこの感覚が、幸男の背骨でした。こうして培った力が、やがて梅本商店へと結実します。
1963年、梅本商店の誕生
1963年(昭和38年)1月、満29歳の幸男は、箔とシールを扱う「梅本商店」を立ち上げました。現在のウメモト株式会社です。
最初に手がけたのは、グラシン紙を蛇腹状に加工する独自設備の開発と、食品用グラシンカップの製造でした。アルミ箔の販売とグラシンカップ製造を足がかりに、事業はやがてシール印刷へと広がっていきます。大阪・奈良・名古屋の3拠点体制が築かれたのも、この時代でした。
二代目へ、挑戦のバトン
2001年(平成13年)、代表権は二代目・梅本知秀へと引き継がれました。知秀はシール印刷を主軸に据え、生産体制の強化や工業製品分野への展開など、会社を大きく変革していきます。
2003年には、第13回シール・ラベルコンテストで経済産業大臣賞を受賞。同年、世界ラベルコンテスト複合印刷部門でも最優秀賞を受賞しました。知秀の姿勢を信頼するメンバーが集まり、リーマンショック、そしてコロナ禍という大きな荒波も、チームで乗り越えてきました。次の世代へ挑戦のバトンが渡ったのは、その積み重ねの先にあります。
三度の飯より、仕事が好きだった
幸男は、仕事を心から愛した人でした。妻との婚約のとき、「三度の飯より仕事が好きだ」と語ったといいます。その言葉のとおり、生涯を通じて商いに打ち込みました。
遺した教えは、一つではありません。時代の移り変わりをよく見て、「一世代に一つは、新しいことを起こしなさい」と背中を押す。そう言いながら、成功を自分の手柄だと誇ることは決してありませんでした。口ぐせは、「自分は運が良かった」。動いて、また動いて、当時はまだ珍しいことを誰よりも先に試す。その姿勢こそが、幸男の言う「運」の正体だったのかもしれません。
若い頃の幸男を知る人は、いつも勉強熱心で、セミナーや勉強会に自ら足を運んでいたと語ります。そんな幸男が繰り返した言葉があります。「どれだけ良いものをつくろうとしても、営業をちゃんとやらなければ何にもならない」。箔の商社で営業を叩き込まれた原点は、生涯、幸男の芯にありました。
一線を退いてからも、その人柄は変わりませんでした。身のまわりをいつも清潔に整え、庭の手入れを欠かさず、資源と一円の価値を誰よりも大切にする。無駄を嫌い、ものを粗末にしない人でした。それでも、いくつになっても目を輝かせたことがあります。ウメモトの新しい展開、新しい設備やサービス、そして会社がメディアに取り上げられること。時代を先へ進めようと挑む姿を、誰よりも喜んでいました。
挑戦は、60年以上つむいできた歴史
2024年、三代目・梅本隆太が代表に就任し、ウメモトは新しい章へと入りました。けれど、この物語の主役は、特定の誰かではありません。今のウメモトを動かしているのは、日々現場で手を動かし、考え、挑むメンバー一人ひとりです。
焼け跡で米を担いだ少年が挑んだのも、時代にあったものを、必要とする人へ届けることでした。物がなければ運び、売り方を知らなければ学びに戻る。その姿は、いまのスタートアップやベンチャーと、何ら変わりません。戦後にもまた、挑戦の時代があったのです。
だから、挑戦はウメモトにとって、今になって取ってつけたものではありません。60年以上にわたって紡がれ、受け継がれてきた歴史そのものです。逆境のなかでも新しい一歩を踏み出そうとした、あの少年の志を、私たちは忘れません。
「貼って広がる、新戦略。」に込めた想い
ウメモトが掲げるのは、「シール会社っぽくないシール会社」という姿です。単なる印刷業にとどまらず、管理ラベルや保護フィルムといった実務を支える機能から、マーケティングや販促、ユーザー体験を支えるツールまで。機能と戦略の両輪で、お客様の課題に向き合う。この考えが、ブランドコンセプト「貼って広がる、新戦略。」に込められています。
始まりは、大阪の小さな商店。一刷入魂、一枚一枚に魂をこめてつくり続け、60年以上の歴史を重ねたシール・フィルム会社。常に挑戦し続ける、創業時から変わらないウメモトの揺るぎない想い。すべては、時代を超え、お客様のパートナーであり続けるために。
だから、今こうしている。
戦後の焼け跡で米を担いで運んだ少年の商いも、二代目が磨いた技術力も、いまを生きるメンバーが挑む新しい戦略も、根っこにあるのは同じ想いです。時代に合わせて自らを変え、お客様のそばであり続けること。
2024年、名古屋支店工場には、当時、国内でも導入例の少ないデジタル印刷機を導入しました。管理ラベル、販促ツール、ブランド体験。ウメモトが目指すのは、その一枚一枚が、お客様にとっての新しい戦略になることです。共に創る姿勢も、人がつくる品質も、現場を知るICT支援も、すべてはその一点につながっています。
発注前に知っておきたい情報も、出し惜しみせず公開しています。
ウメモトは、これからも新しい挑戦を続けていきます。あなたの課題に、共に向き合うパートナーとして。